みどりのしずく

裏・初仕事【3】

「怪我をしたくないのなら、観念することです。あなたのツケは高いですよ」
 足下の銃を拾おうとする奴を牽制しながら、拳を握ったまま間合いをはかる。これ以上何か仕込んでいるとは思えないが、油断はできない。一方の傭兵二人は完全に戦意を失ったようで、自らに刺さったナイフを抜くと、床に座り込んだまま半ば放心したように顛末を見守っている。
「生意気なことを言うな」
「お迎えが来てくれますからね。たとえ一生かかってでも払っていただかなくては」
「何だと?」
「ルー、来ていますね」
「大分前からな」
 さも当たり前のように声がしたかと思うと、ルーが初老の騎士を伴い、私が通されたのと同じ扉から現れた。
「合図が遅いからヒヤヒヤしてたぜ。ジラデン一味を連れてきた」
 店主以下三名が突然の客に驚いている間に、彼らはズカズカと部屋に入ってくる。ルーが薄手の帷子を着込んだ上に帯剣しているのは魔法封じへの対策だろう。軽装備の彼とは対照的に、一緒に現れた騎士はしっかりとした作りの鎧を着込み、磨き込まれた剣と小振りの盾を持っていた。いずれも、リトリアージュ王国の紋章が刻まれている。
「一味とは、まるで悪人のような言われようですな」
 騎士は苦笑しながらも、ときおり鋭い視線を古道具商らに向けている。
「フィスタ殿には後でお説教を聞いていただかなくてはなりませんぞ? 我らを軽々しく動かそうなどとは」
「お小言は覚悟しております、ジラデンさん。来て下さってありがとうございます」
「うむ。……まあ、挨拶は後にいたすか」
 ジラデンは真顔になり、部屋の奥で唖然としている店主と傭兵たちに向けて名乗りを上げた。
「リトリアージュ王国、王宮付き騎士団。副官ジラデン=ザノエド」
 威厳溢れるジラデンの声を合図に、部屋の外で待機していたらしい兵士たちが部屋へとなだれ込んできた。その数、十数人。
「こちらの店で、闇市場への品が扱われているとの知らせを受けて参った。……店主は、そなたか?」
 すぐには返事はしないところを見ると、驚きのあまり声が出ないのか、それとも未だ悪あがきをして逃げ道を探しているのか。
 この街、いやこの国の治安維持の先頭に立つ精鋭たち。王宮内の警護を主な職務とする、いわゆる近衛の一団がこんなところまで捕り物に来たと聞いたら、普通は店主のような反応をするのかもしれなかった。これも、ジラデンと古い知り合いであるルーが無理をして掛け合ってくれたおかげだ。
「その方がご店主で、他のお二人は雇われ用心棒のようです。今回取り引きされるはずだった商品は、私。危うく値段を付けられそうになりました」
 店主に代わり、私が説明する。予想もしなかった言葉に、ジラデンはいぶかしげに私の顔を覗き込んだ。
「うん? フィスタ殿が?」
「ええ。それから、そこにいる亜人の少年も。正確に言うなら、『亜人の少年を写した人形』ですけれど。彼によれば、人間は売り物になって初めて役に立つのだそうで」
 私は、カヤナを模した人形を指し示した。
「魔法で無理やり眠らせた少年を『もの』として売ろうと思われたようですが、私が人形を作ってすり替えておきました」
「なっ……まさか、偽物だと!」
 古道具商はようやくことの成り行きを理解したらしく、目を剥き、ぱくぱくと口を動かしている。
「話せば長くなりますからここでは言いませんが、本人は安全なところに匿われていますからご心配なく」
「……嘘だ」
 へたり込む店主を後目に、ジラデンがふむ、と頷くと近くにいた兵士に人形を回収するように命じた。裏市場への流通の証拠品として、兵士がカヤナの人形を抱きかかえて退出するのを見届けたジラデンは深く息を吸った。
「この恥知らずが!」
 例えるならばごく近くに落ちた雷のような、部屋を揺るがすかと思えるほどの大声。怒りで顔を真っ赤にした騎士は、噛みつきそうな勢いで断罪した。
「人間を、しかも子供までも金儲けの道具にするなど、思い上がりも甚だしい! 鉄格子の中で悔いるがよいわ。……フィスタ殿の言葉を借りるならば、もうツケは利かぬ。さっさと連れて行け」

 すっかり腰の抜けた店主と用心棒を兵士達が縛り上げるのに、時間はかからなかった。
「それでは、私もここらで失礼いたす。兵士たちの休憩時間も、そろそろ終わりなのでな」
「休憩、ですか?」
 聞くと、今日の勤務を終え、王宮内の詰め所で一息ついていたところをルーに捕まったのだそうだ。悪質な取り引きが行われている、子供が被害にあっているのでなんとか犯人を捕まえてほしいというルーの願いを受けて、これから勤務が控えている交代待ちの兵士やすでに勤務を終えた兵士達をかき集めてきたらしい。
「ジラデンさん、あとで改めてお礼に伺います。本当に、わざわざありがとうございました」
「礼などいらぬよ。アルノルート様の頼みですからな、断れるわけがなかろう?」
「無理させて、悪かったな」
「では、また。お元気で」
 ルーの珍しく殊勝な言葉に、ジラデンはにっこりと笑った。悪徳商人と傭兵二人を連行していく兵士達を見届けると、やがて彼も持ち場へと戻って行った。

「というわけで、なんとか解決だな。怪我はないか、先生」
「お腹にアザができているかもしれませんが、心配されるほどではありません」
 私は穴の開いたマントを脱ぎ、翼を丁寧に取り外しながら答えた。
「……魔法が使えなかったらまずいと思って装備を固めてきたけど、黒翼を持ってきたんじゃ俺の出番はねえな」
「剣術の心得があるルーとは違って、非力な私にはこれでもまだ足りないくらいです」
 私の言葉に、彼は一度自分のいでたちを見下ろすと「よく言うよ」と肩をすくめた。
 この飛び道具『黒翼』は、魔法なしで戦わねばならないときの強い味方である。両手の革手袋にはたくさんの鋲が打たれ、背中の翼へと続く細い糸が張り巡らされている。この糸を指ではじいたり引いたりすることで、翼から羽が放たれるしくみだ。
 ルーが、外された翼の片付けを手伝ってくれる。
「またマントをダメにしやがって。……エスが怒るぞ」
「それが今、いちばんの悩みの種ですねえ」
 マントの中央部にはぽっかりと穴が開いており、ふさげばまだ使えるという程度の問題ではなかった。折り畳んでマントの中に隠しておくことができるのが黒翼のいいところなのだが、私としては使用頻度が高くならないことを願うばかりだ。
 工房で何も知らずに帰りを待っているであろうエスの微笑みが思い浮かび、心が痛む。彼女は、怒ると非常にいい笑顔になるのだ。
「ジラデンが来なくたって、先生一人で何とかできたろ」
「悪い人を捕まえることは、機工師の仕事ではないんですよ。私が仕事だと思っているのはカヤナの魔法陣を壊して、体も心も解き放つことまでです」
 解呪にはあれから何度か挑戦していたが、『規格外』の手強さは予想以上。未だ、成功することはなかった。私よりも強い魔力を持つ魔導師なら、あるいは魔法陣を打ち消すこともできるかもしれない。しかし、カヤナの秘密をあまり大勢の人間に知らせたくはなかった。しばらくは私の力だけでなんとか努力してみようと決意したところだ。
「じゃ、なんでわざわざここまで来たんだよ」
 ルーに向けてというよりは、自分自身に言い聞かせるように私は呟いた。
「語弊があるかもしれませんが、カヤナの仇をとりたかったんでしょうね。……犯罪を戒めることが、機工師に許されるとは思っていません。でも、今回だけは自分の目で結末を確かめて、犯人も確実に捕まえたかったんです。自分勝手な考えですが、それがカヤナのためになると思えば黙ってはいられませんでした」
 カヤナと同様に売り物や見せ物にされ、散り散りになった亜人たちの手がかりが得られるよう、あの商人の身柄を押さえておきたかった。
 例え廃墟同然となった村しか残っていないとしてもふるさとに帰りたい。やがて彼が成長してそう望んだとき、一人では寂しすぎるから。彼がその道を選ぶとは限らない。でも、小さな家族の一員がこれから選ぶであろう道は、多い方がいい。
「ま、カヤナの敵を自分の手で殴っておきたかったってことか」
「平たく言うとそうなりますねえ」
「……俺もあのオヤジに一発入れたかった」
 ルーは、吐き捨てるように言うと拳を振り下ろす仕草をした。しかしすぐに黒翼を収めた皮袋を持ち上げ、「さあ、先生。片付け終わったぜ」と何事もなかったかのように私を見上げた。
 それに応え、私は微笑む。
「では、帰りましょうか。工房に」
 みんながいる、私たちの家に。