みどりのしずく
三羽の鳥【11】
『ラグもお父様に会ってくれるでしょ?』
メルフィの言葉を反芻しつつ、ラグは困惑していた。
謁見の間へと続く扉の前。ここに通されたということは、つまり自分は、正確にはラグとルーが――正式な賓客として扱われているのだろう。
そもそも、メルフィの誕生祝いが予定通りに行われることにもラグは驚いていた。
それがこんなにも大がかりな儀式だとは想像もしていなかった。だいいち、少しだけルーを手伝った程度の自分までも、王との謁見を許されるなどとは考えていなかった。
しかし今日のルーは、ラグをあくまで『自分の保護者代わりであるフィスタの代理』として扱うつもりらしく、当然ラグも立ち会うべきだと主張した。さらに、冒頭の一言――主役のメルフィの意見は絶対で、ラグも参加することになったのだ。
どうにもそわそわと落ち着かず辺りを見回すと、扉の上部の壁には大きなレリーフ。いかなるときも緑の葉を絶やさない常緑の木が、壁から浮き出るかのように彫られている。それはリトリアージュ王家の紋章で、ルーが時計として創ったくろがねの木そのものだった。
いつまでも老いることはない樹――そしてリトリアージュの王。ラグの中で、紋章とルーの負う運命とが重なる。
と、脇腹を肘で小突かれた。隣で当のルーが苦笑している。
「挙動不審だぞ」
「こんなところに連れてこられたら落ち着かなくもなるよ」
「地下牢には躊躇なく付いてきたのにか? ……どうってことねえよ。王様だと思うからダメなんだろ。俺の親に会うと思えばいいんじゃねえか」
――どっちにしても、緊張するんだけどな。
ラグの心中など知らず、ルーはやはり笑っている。
この扉の向こうには、リトリアージュ王、つまりはルーたち兄妹の父親がいる。
正直なところ、ラグは王に対してあまりよい感情を持てずにいた。ルーが屈折した道を歩まねばならなかった、その原因を作った人物だという印象があまりにも強かったからだ。一方で、だからこそ、どんな人物なのかをラグ自身の目で見極めたいとも思っていた。
――他人からの情報だけで物事を判断しないこと。それがラグの信条。機工師――技術を生業とする者が最後に頼りにするのは自分の目、腕、そして心だ。
まずは会ってみよう。会わないことには、何も始まらない。
「……せっかくお招きいただいたんだもんね」
「腹は決まったか」
「うん!」
ルーの声に、ラグは大きく頷いた。
通された謁見の間は、全体的に質素なつくりの城には珍しく、きらびやかに飾られた部屋だった。とはいえ、無駄なものが置かれているわけではなく、ラグにはその価値まではよくわからないけれど、調度品一つ一つに高級感がある印象だ。
そして、とても広い。比較できる部屋が工房のラグの部屋か、城のメルフィの自室くらいしかないのがそもそもの間違いなのだろうが、もちろん比べものになどなりはしない。
遠く、部屋の奥が一段高くなっており、そこにひときわ立派な椅子が置かれている。その椅子に、見慣れた色の見慣れぬ人物が座っていた。
遠目でも分かる。ルーと同じ、『人形姫』の姿を写す金の髪と青い瞳。
――ならば、あれがロディール=ベレトル=リトリアージュ。
国民からは親しみを込めてロディ王と呼ばれる、現リトリアージュ王、そして三兄妹の父だ。
初めて見たロディ王は、ルーの父親というにはあまりに若かった。
外見だけを見れば、フィスタと同程度か少し年上という程度だろうか。とても三人の子がいるようには見えず、外見の若さのせいもあり、髭を蓄えていてもなお、王というよりは王子という言葉が似合う。
とにかく、人形姫の『祝福』――ルーに言わせれば長命の『呪い』を、ラグはついに自らの目で見ることとなったのだ。
王がラグの姿を認め、目が合う。
瞬間、ラグの身体はぶるりと震えた。自分では止めようとしても止められない類の震えだ。
その疼きはすぐに全身へ、そしてラグの心の中にまで。胸の内がかき乱されたまま、ラグは立ち止まった。古傷の左肩を庇うように、自分自身を両手で抱き締める。そうでもしないと、この場から逃げ出してしまいそうだった。
例えるならば、強い魔力を秘めた人間と対面するとき――強大な魔力を肌で感じるときに似た感覚。あるいは、人形と化していたカヤナと向き合ったときの、ちりちりした感じ。そしてなぜか、懐かしさと、あたたかさ。
一方のロディ王も、ラグに強ばった表情を向けている。王のあまりにあからさまな視線を不審に思ったらしいルーが足を止め、次にラグを一瞥して目の色を変えた。
「おい、どうした」
「……緊張、しちゃって」
「そういう顔色じゃねえだろ?」
ルーが首を傾げた。
言ったとおり、緊張のあまり足が止まったのならよかった。
しかし、王と顔を合わせた途端に身体が言うことを聞かなくなったこと、そしてロディ王の表情が明らかに変わったことからすれば、この震えの原因は王にあるのだろう。そしてそれは、ラグと王、二人以外には伝わっていないようだった。
それでもいつも通りのルーの声のおかげで、ラグは少しだけ落ち着きを取り戻した。未だこちらを見つめている王から目を逸らして見回すと、王の脇にはメルフィ。その側に控える兵士たちの筆頭には、ジラデン。みな、眉を寄せてラグを見つめている。
――心細くなんかない。みんながいるんだから。
口の中でそう唱えてから、思い切って腕を緩めてみる。幸い、心と体に起きた波風は、やがてすうっと引いていった。
「ロディール陛下、ご機嫌うるわしゅう存じます」
ルーが一歩進み出て片膝を付き、頭を下げた。ラグも慌ててそれに倣う。
「我が娘のために骨を折ってくれて礼を言う、アルノルート」
思ったよりも瑞々しく優しげな声。ラグは王と目を合わせないように注意しながら、目線だけを上げた。
間近で見るロディ王は、少し目尻が下がった甘い面立ち。金髪碧眼を抜きにすれば、王の血はルーやレンよりはメルフィに濃く受け継がているようだった。
挨拶を終えたルーは、自分の後ろに控えているラグを振り返った。
「これは、ライグ=ストロンド。フィスタ工房の職人で、わたしの妹弟子でございます」
「陛下、お初にお目にかかります。……フィスタ=リューズの弟子、ライグ=ストロンドと申します」
「フィスタらから噂は聞いている。よく来てくれた」
「大変――光栄に存じます」
「今日は身内のことではあるが、フィスタに代わり工房の名代として見届けてくれ」
ロディ王は柔和な笑みでラグに優しく呼びかけた。先ほど、初めて目が合った際に浮かべていた不自然な表情はもう消えている。
「この度はすばらしいものをありがとう。うれしいよ――ですわ」
贈り物を受け取ったメルフィは、芝居がかった口調で礼を述べた。素がはみ出しているところがなんともメルフィらしい。
魔法とからくり仕掛けの時計を愛おしそうに眺めているメルフィの表情に、ラグは心底ほっとした。
葉が生い茂るくろがねの枝は、先ほど見た紋章からイメージしたものだ。台座の部分には紋章そのものも刻印されている。その枝に留まるのは銀の鳥が三羽。うち、金の冠羽を持つ一羽が、ルーの最初の構想にはなかったものだ。
メルフィもルーもはじめの礼こそそれなりにしていたが、形式的なやりとりが終わった後はごく普通に喋り始めた。ルーも肩の荷が下りたのか、いつもの兄妹の会話が繰り広げられている。
「ちゃんと三羽一緒なんだね。あたし、こっちの方が断然好き!」
「そりゃ、良かった
そのルーの声が妙に部屋に響いて、ラグは異変に気付いた。謁見の間は知らぬ間に人がいなくなり、すっかり空っぽになっていたのだ。
「……先ほどまで牢にいた者を呼びつけるとは、人使いが荒い」
そして、寂しくなった広間にぼやきながら現れたのはレンだった。体を清め、髪を梳いてきたのか、ラグのよく知る白銀の輝きをすっかり取り戻している。
これで、この場にいるのは三兄妹とラグ、そして王のみ。
ロディ王は哀しそうに兄妹の方を見つめていた。単に沈んだ雰囲気というだけではなく、まるで眩しいものを見るかのように目を細めている。
やがて兄妹たちも周囲の様子に気づき、表情を変えた。ルーは眉をつり上げ、レンは無表情になり、メルフィは瞳を潤ませて。
ルーが弟妹たちの意を汲んで、王に向かい合う。
「どういうことだ」
「人払いをさせてもらった」
「どうしてそんなことを、と聞いているんだ」
ロディ王はラグを見つめていたが、先ほどの初対面の時のように体調にまで影響するということはなさそうだった。知らぬ間に慣れた――適応してしまったのかもしれない。
王は優しく微笑むと、ラグに向けて言った。
「そこのお嬢さん、ライグさんといったか。少し、外してくれるか」
ルーが、ロディ王からラグを庇うように前に立つ。
「ラグは先生の代わりに来てるんだ。俺は、ラグにも聞いてもらいたい」
「しかし――」
「これまでも俺に関わりそうなことは、先生に情報を繋いでたんだろ? それと同じ事をラグにもしてくれりゃあいい」
レンとメルフィも頷いている。
ラグも、ルーや兄妹のことをもっと知りたいとは思う。
けれど、この後に話し合われることは家族間の込み入った話や、国のこれからに関するごく内輪の話――ということは、リトリアージュの内政に大きく踏み込む――だろう。わざわざ人を払ってまでのことなのに、本当に自分が聞いてもいいのだろうか。
ラグが迷っていると、王が改めて尋ねた。
「皆は、ああ言っているが。ライグさんはどう思っている?」
「……私が聞いても、よろしいのですか」
「決して、他言しないか」
「は――はい」
ラグは王の視線に一瞬たじろいだが、負けじと目を逸らさぬように見返す。
王は金の髭を二、三度撫でたのち、ラグを見据えた。さきほどまでの優しい目は、もうどこにもない。王も、ルーやメルフィと同様、心と表情を切り離せる人間なのだろうか。それとも、長命だという王の人生経験のなせる技だろうか。
やがて王は、深い地の底から響くかのような低い声でラグに問うた。
「もし外に漏れたときには相応の咎めがあるが。……意味は、分かるかな」
相応の咎め。つまりは、命をもって――ということなのだろう。もちろん、ラグには言いふらすつもりなど毛頭無いが――。
不意に、ルーが、後ろのラグを振り返った。
「……俺の、最後のわがままだ。聞いておいてくれないか」
ルーは笑ってそう言った。
その笑顔にたどり着くまでの苦しみを、ラグは知っている。最後と言い切る覚悟を――個を捨てて『国』になるという決意を、ラグは知っている。
――それなら、私も――命くらい、かけられる。
ラグは、真っ直ぐに王を見て答えた。
「ここでのことは決して口外しません。人形姫に誓います」
王は、複雑な表情で頷いた。