みどりのしずく

三羽の鳥【4】

「リトリアージュの王の子は、第一子だけが『人形姫』の見かけを正確に継ぐ。それが男でも、女でも、俺でもだ」
 ルーは、自分の目を指差した。紺青の瞳は、もう潤んではいない。
「なぜかは知らねえが、第二子以降は色が薄い。そういうもんらしいんだ。レンを見ただろ?」
 王の血を引くといっても、長子とそれ以外で明確な違いがあるらしかった。
 第一印象ではルーと勘違いするほどに似て見えたレンは、確かにルーよりも薄いしろがねの髪と空色の目をしていた。メルフィ姫もおそらく、レンに近い見た目を持つのだろう。
「昔から王位の継承権があるのは第一子、つまり、その世代で姿形が人形姫に最も近い者。今の王の子の中でいうと、困ったことに俺だ。……レンが生まれたときは、国中がかなりの騒ぎになったらしい。王宮内では、誰も俺と母親のことを把握してなかったらしいからな。もっとも、王だけはそのときにピンときたとは言ってたけどよ。どうだか」
 生まれる前から期待を背負っていたレン。しかし生まれてみれば『薄い』子で、『人形姫』の姿を写す子供は別にいると分かる。大騒ぎになっただろうことは想像に難くない。
「俺の母親と王が出会ったのは、街の外れの森の中だったらしい。ちょうど、この前のレンと同じように竜で城を抜け出したときに、獣に囲まれていた娘――俺の母親を助けたそうだ。後は一直線だな」

 恋を知らなかった青年と初な町娘は惹かれ合い、お忍びで逢瀬を重ねていった。
 やがて娘は身ごもったが、王にはそれを告げなかった。身分を明かさずとも、娘は髪と目の色で彼がこの国の王だと気付いていたから。静かに身を引くことを選んだ彼女は、王を避けた。
 時を同じくして王は正室を迎えることとなり、これまでのように街へ行くことを固く戒められた。二人はそれ以来、二度と会うことはなかった。

「俺が正式に王宮に入ったのは六歳、母親が流行り病で逝った年だ。さすがにそれくらいの歳にまでなると俺のことは周囲に知れて、王の使いって奴らもちょくちょく来るようになってた。
 で、俺が一人になったのをいいことに、半ばなりゆきで。抵抗したような気もするんだけどよ。覚えてねえのか、思い出したくねえのか、そのへんのことは記憶に残ってねえんだ」
 ルーの母親は、ルーが国王陛下のご落胤らしいという噂が立ったのちにも、引き渡しを拒んでいたのだそうだ。王宮内では第一子、つまりルーがどうしても必要だという論が盛り上がっていたらしいのだが、ルーの母親は病に倒れてからも王室からの援助などは受けず、ルーとの二人暮らしを貫いた。
 母親と無理に引き離そうとしなかったことだけは王に感謝している、ルーはそう言って肩をすくめた。
「いくら伝統的に第一子が王になるとはいえ、どこのどいつとも分からねえ女の息子で、後見もねえし学もねえ俺を王にしたくない奴らも多いわけだ。……おかげで、護身術だけはずいぶん上達したぜ」
 護身術、という言葉が急に出てきたような気がして、ラグは一瞬首を捻り、それから目を見開いた。
 身を守る必要があったのは、命の危険が迫っていたから。
 ――ルーの存在を快く思わない者たちが、彼を狙ったのだ。
「これまで、長子が王位を継承できなくなったってことはねえが、その時にはきっとレンが王になるだろ。メルフィは正室の子、レンは側室の子だが、なんたって次男だからな。……あいつは血も力も申し分ねえ。小さい頃から帝王学を叩き込まれてるし、母親は随分大層なお家柄だ。そのレンを差し置いて、王になるのは俺だっていうんだから、どうかしてる」
「ルーが継承できなくなるって――」
「例えば、俺が命を落としたとき」
 ルーは組んでいた手を解いて、忌々しそうに言う。
 ラグの手と比べ、ルーの手は機工の作業では使わない部分が節くれ立ち、固くなっている。剣の握りだこだ――ラグはたまらない気持ちになった。
 アカネとアカツキの一件を思い出す。
 あの事件でルーが剣をかなり使うことを知ったが、どこで身につけたのかまでは考えが及ばなかった。あれは、自らの身を守るために鍛えた技なのだ。
 ルーが『何度も修羅場をくぐった』と言っていたのは、フィスタの工房に来る前も来た後も含めて、という意味だったのだろう。
「最近になって、国王がそろそろ王位を譲りたいと考えてるって噂が流れたんだ。その直後から、危険な目に――要は、命を狙われる頻度が高くなった。王の座はともかくとして、まだ死ぬには早いだろ? だから、死ぬのは嫌だっていう一心でどうにか切り抜けてきたんだが、毎回毎回全力で回避してるとさすがに疲れる。それを、先生が助けてくれたんだ。先生は、俺と同じ歳のときにはもう王室お抱えの機工師になってて、定期的に王宮に来て、俺に専属で機工を教えてくれてた。その頃は、師弟というより兄貴みたいな感覚で付き合ってたかな」
 ルーは照れくさそうに言った。
 もっとも、ルーとフィスタが本当の兄弟です、といって騙される人はいない。何しろフィスタには、あまりに似すぎている妹がいる。
「いろいろあって、見かねた先生がうちで預からせてくれと申し出てくれた。『見たところ、王子は心も体もかなりお疲れのご様子です。できることなら、つかの間でも生まれ育った街で暮らすことが静養になるのではありませんか? ちょうど、私は近々、街に工房を構えたいと思っています。それに際し、失礼ながら私の”一番弟子”たるアルノルート様のお力をお借りできるのなら、これ以上の幸せはございませんが、いかがでしょうか』」
 ルーはフィスタを真似て、いかにも師匠が述べそうな口上をすらすらと口にする。そして、自嘲気味に付け加えた。
「それに甘えて、ありがたく逃げてきたってわけだ。幸い、街に出てきてからは至って平和に過ごしてるから、それが正解だったんだろうな」
 フィスタが工房を開業した当初から、ルーはここにいる。王のお抱えならば、自分の店など無くても食うに困らないはずだ。もしかしたら工房など、ルーを連れ出す口実だったのかもしれない。フィスタは、これと賭けた相手にはそのくらいのことはする人間だとラグは思う。
「ねえ。……少し話が戻るんだけど、レン様はルーが家出した理由を知ってるの?」
「まさか、『お前から距離を置くために王宮から出る』とは言えねえからな。……レンの様子から見て、跡継ぎ云々のごたごたはよく知らねえんじゃねえかと思う。それか考えたくはねえが、知らねえふりをしてるか」
 ルーがあまりに素っ気なく言うのに、ラグは背筋が寒くなった。ルーにとって、命のやりとりとはいつもの会話の調子で語れるくらい身近にあるものなのだと改めて感じる。そのルーですら嫌気が差すほどに熾烈な争いがあって、今に至るのだ。
 レンは、王になりたいのだろうか。
 兄の命を脅かす者がいると、知っているのだろうか。
 まさかとは思うが、自らがその指示を出しているなどということは――。
 ――ううん、違う。
 ラグは浮かんだ疑惑をすぐさま否定した。
 応対した限りでは、レンにそこまで物騒なものは感じなかった。ルーのことを悪し様に言ってはいたけれど、あれくらいなら兄弟喧嘩の範疇だろう。ただ、ルーが隠していた秘密を勝手に喋ってしまったのは、酷いと思ったけれど。
 それとも、レンとルーにはラグ自身の願いが過剰に投影されてしまっているのだろうか。家族は仲が良くなくてはならない、弟が兄を弑するなどあってはならない、あって欲しくないと思うあまり、自らの目で見たはずのレンの姿を歪めてしまっているのだろうか。
 ラグには分からない。いや、分からなくなってしまった。ルーとレン、それにその父である王、ルーの母。彼らは、ラグの知っている『家族』とは明らかに違っていたから。
 けれど、分からないなりに、幸せを願うことくらいは許して欲しいとラグは思った。ルーにとっては気休めにもならないだろう。それでも言わずにはいられなかった。
 考え込むラグを見ながら、ルーはふと思い出したように話し始めた。
「ただひとつだけ、心に引っかかってることがあるんだよ。……俺もレンも普通に笑い合ってたころ。レンがまだ小さくて、俺がまだ可愛かったころの話だ」
 ラグが反応に困ると、「笑っていいところだぜ」と声が飛んできた。眉根を寄せたルーが、ばつが悪そうに続ける。
「大人たちが俺とレンの前で難しい話を始めたんだ。今思えば、あれは王位の継承がどうとかいう噂でもしてたのかもな。俺とレンを見比べて、厭な笑い方をしたり、不機嫌そうに唸ったりさ。そのうちにレンが泣き出した。子供なりにその場の雰囲気を感じ取ったのかもしれねえ。……『恐い』ってしがみつくからさ、俺、『俺がついてる』って答えたんだ。守ってやるから――ってさ」
 現在のレンからは想像ができない。そういった脆い部分は成長とともに消え失せたのか、それとも包み隠しているのか、彼は二の王子を立派にこなしているようだったから。
「側にいねえくせに、守るも何もねえよ」
「ルーはちゃんと覚えてるじゃない」
「それだけじゃ駄目だろ。行動が伴ってねぇってのに」
「でも、レン様はルーのこと、そんなに嫌ってない気がする。本当に嫌いなら、いくらメルフィ様の頼みでも、わざわざ竜に乗ってまでルーに会いには来ないと思うよ」
「だったら、いいんだがな」
 言葉は投げやりだったが、乗せられた感情はずいぶんと柔らかかった。ルーの方はレンを本気で嫌ってはいないだろう。幼い頃の約束を反故にしてしまったことを、こんなにも深く後悔しているのだから。
「レンの奴は、俺が単に王子って地位から逃げたと思っていそうだな。……ま、逃げてるんだけどな、実際」
「でも、逃げたくなるのは仕方ないよ。私にはよく分からないけど、大変なんでしょう? 王子の仕事も、王様になることも」
「お前な」
「約束だって、まだ間に合うよ。これから守ってあげたらいいじゃない」
 ルーは呆れたように眉を寄せると、やがて吹き出した。どこにも棘を感じさせない、自然な動作で。
「ったく、文句も言えねえぜ。お前の、その無防備っつーか、世間知らずすぎるところ。ほんと救われるよな」
「私、また何か変なこと言った?」
「いいや。至極まとも」
 ルーの顔に堪えきれない笑いが見えるのは納得いかないものの、この場の風向きが完全に変わったことは、ラグにとってはありがたかった。いつもいつもそういうわけにはいかないが、知らなすぎるということも時には役に立つらしい。
 一方、ルーは笑いの波が収まったとたんに真顔に戻った。「たぶん、国民にとっては一般的なことなんだけどよ」と前置きする。
「俺にとっての大問題はな、王になってからなんだ。リトリアージュの王が代々長生きってのは、分かるだろ」
「うん、一応ね。……あれ、じゃあ、ルーも見た目よりも歳を取ってる――の?」
「いや、俺はごく普通の人間だ。今はな」
「……今は?」
「王になると、正確には戴冠式を済ませると、時が止まるらしい。そして、人一倍――いや、もっともっと、気が遠くなるほど長く生きることになる。国のみんなはそれが『祝福』だと信じて疑わないが、俺にとっては『呪い』だ。周りのみんなとは違う時間を生きるなんて――先生もエスもカヤナもお前もいない時間なんか、想像できるか? ……命を脅かされるよりも王になることよりも、生き続けることが恐いんだよ、俺は」

 ルーは、両手で顔を覆った。その手の隙間から深いため息が漏れ聞こえてくる。
『しあわせじゃなくても、いきる』
 ラグの脳裏に、幼い頃に自らが吐いた言葉がよみがえる。リュエットが瀕死のラグの傷を癒してくれたとき、ラグ自身がそう言ったのだ。
 今のラグは幸せだから、そんな言葉は奥底に埋もれていた。しかし、ルーはどうだろう。まさしく、今の彼は、その生を選ぶか否かの瀬戸際にいるのではないか。
「どうすりゃいいか分かんねえんだ」
 ルーはぽつりと零した。くぐもった声が、やけに遠くから聞こえるような気がした。