みどりのしずく

三羽の鳥【9】

 いよいよ、メルフィ姫の誕生日。つまり、完成品を献上しに行く日だ。
 ルーの今の身分は表向き『町人』ということになっていて、今日もいち職人としてメルフィ、それにレンや王と謁見する予定になっていた。ラグも同様に職人としてルーに同行する。フィスタはエスの身体のこともあると言い、カヤナと三人での留守番を申し出ていた。

 約束の時間になると先日のように兵士たちが迎えに来たが、前回よりも人数が減っていた。それだけ、命を狙われる危険が減ったということなのだろうか。
 玄関先に、フィスタが心配そうな顔を覗かせた。
「私も行けたらよかったんですが。くれぐれも気をつけて。皆様によろしくお伝え下さいね」
「分かりました」
「そんなこと気にする奴らじゃねえよ」
「私が気にするんです。ルーはご実家を軽んじすぎますよ」
 気楽に答えたルーをフィスタがたしなめる。あえて『王室』ではなく『実家』という言い方をするのがフィスタらしい。フィスタはすぐにいつもの優しげな表情でゆっくりと告げた。
「ルー。……言いたいことがあるのなら言ってきなさい。やりたいことがあったら心のままにやりなさい。そうでないと、後悔します。いつまでもいつまでも胸が苦しいのは、辛いものですよ」
「もう十分に思い知ってるよ」
「それは結構。ラグはルーの面倒をみてあげてくださいね。この兄弟子は独りじゃ何をするか分かりませんから」
「は、はい!」
 フィスタの姿が見えなくなるところまで来ると、ルーが「子守で大変だな」とぼやいた。今日は護衛兵の間からルーの顔がはっきりと見えている。師匠の言葉に少々拗ねているらしいルーに、ラグは吹き出しそうになるのをどうにかこらえて尋ねてみた。
「姫さま、喜んでくれるよね」
「なら、いいんだけどよ」
 ルーはラグの言葉に無邪気に笑った。


 メルフィは自室のテーブルに伏せていたが、ルーの顔を見るなり「大兄さま!」と声を上げた。喜びというよりは悲鳴に近いその声に、ラグは面食らう。
 こちらへ早足で寄ってくるメルフィを見れば、泣き腫らしたと分かる重そうな目蓋が痛々しい。
 ルーが荷を足下に置くと、その胸にメルフィが飛び込んできた。
「メルフィ様?」
「……どうしたんだ?」
 ラグに続いて、ルーがメルフィをあやすようにもの柔らかな口調で問うた。
 顔を上げたメルフィは泣いてはいなかったものの、今にも決壊しそうな心をどうにか抑えているというように見えた。
 もしくは、もう飽きるほど泣いた後だったのかもしれない。ラグとルーの疑問に答えた声は意外にもしっかりしていた。
「ごめんなさい。これじゃ、また大兄さまにちゃんとしろって怒られちゃうね」
「お前、変なときに変なこと気にするんだな」
 ルーが眉をしかめた。そういえば、以前メルフィの部屋を訪れたときは、はしゃぐメルフィをルーが窘める一幕があった。メルフィはそれを気に掛けているのだろう。
「いいから話してみろよ」
「そう。小兄さまが大変なの! 違うかな。えっと、小兄さまが――小兄さまを」
 メルフィも眉間に皺を寄せる。どうやら言いたいことに口が追いついていないらしかったが、彼女が取り乱している原因がレンにあることだけはラグにもルーにも伝わった。
「落ち着いてください、メルフィ様。ゆっくりでいいんです。レン様が、どうされたんですか」
「あ、うん、ごめんね。……小兄さま、今、捕まってるの。ううん、やっぱり違うな」
 ――捕まっている?
 物騒な話に、ラグとルーは顔を見合わせた。
 メルフィはやっと呼吸を整えると、目をくるくると動かした。頭の中を整理しているのか、何やら思いを巡らせているようだった。
 どうやらただごとではないらしい。ラグが口を開くよりも先に、ルーがメルフィの肩を掴んだ。
「レンが、一体何をしたってんだ」
「小兄さまは、何もしてないよ! ……小兄さま、自分で自分を牢に入れたの。フロレナ母様が――その、悪いことしたのは、自分のせいだからって。大兄さまに迷惑を掛けたのは、重い罪にあたるって」
「な――」
 ルーはそれきり言葉を失った。
 堪えきれずに泣き出してしまったメルフィをなだめながら、ラグはレンと交わした言葉を思い返していた。
 献上当日まで贈り物が見られないと知って、残念そうだったレン。
 別れ際、ラグの手をなかなか離さなかったレン。
 自分が責任を持って解決すると、レンは言ったはずだ。あのとき端々に感じた妙な雰囲気は、すでに自らを罰することを決めていたからだったのだろう。
 ラグとルーの視線がぶつかる。
「ルー、どうする?」
 ルーは恐ろしさすら感じるほど真剣な顔で、やおら駆け出した。ラグはメルフィに待っているように告げ、ルーの後を追った。ルーが置いていった荷を抱えて。


 ルーは、何の迷いもなく塔――兵士達の詰め所――へと駆け込んだ。突然の闖入者に室内はざわめき、咄嗟に武器を取る者まであったが、ルーの人相、そしてラグの姿を見て、皆は顔を見合わせた。第一王子、そして娘――兵舎や牢獄に似合わない取り合わせを見て、何かわけがあってのことと察したらしかった。
 やがて、詰め所の奥からルーとラグの方へと歩み寄る人影があった。
 一人の男性が静かにルーに近づくと、深々と頭を下げた。見覚えのあるその所作は、先日ラグが城で出会ったジラデンという騎士だった。周囲はその姿を認めるやいなや、何事もなかったようにもとの落ち着きを取り戻していた。
「お待ちしておりましたぞ、アルノルート様。よくおいで下さった」
「ジラデン! レンはどこだ?」
「ご案内しましょう。……ライグ殿は、どうされますかな」
 ジラデンは、「居心地の良い場所ではありませんが、よろしいかな」と優しく笑った。
「こいつは遠慮が過ぎるからな。建前で嫌って言っても、連れて行くぜ」
 ルーがラグの肩をつかみ、促す。
 城の地下牢など、普段なら好きこのんで入りたいとは思わないが、今は別だ。この兄弟がどういう道を選ぶのか、最後まで見届けたい。そして自分にできることが何かあれば、迷わず手を差し伸べたい。
 初めて出会ったときのレンの姿が瞼に浮かぶ。
 奔放で少し傲慢だけれどなぜか憎めない王子。あの空の色の瞳が冷たい地面の下に繋がれていると考えると、ラグは言いようのない悲しみにとらわれる。
 やりきれなくてぎゅっと握った手に、固い感触があった。ルーとラグが作った、あの時計だった。鳥は地上にあってこそ羽ばたけるのに、とラグは思う。どうにかして、レンをもとのように光の中へ返してあげたい。そして三羽の小鳥が寄り添う姿を、この目で見てみたい。
「嫌だなんて言わないよ」
「分かった」
 意外そうな顔をするかと思ったら、ルーは目を細めてこちらを見ていた。それを見守るジラデンも目尻を下げていたが、やがてふと厳しい顔になると、地下の階段へと向かって歩き出した。

 小部屋が並ぶ地下の廊下を、ジラデンは足音も立てずにすいすいと歩いていく。それに続くルーもまた静かだ。いつもはどたどたと盛大な音を立てて走っているのに、こんな器用なこともできるのだとラグは驚いていた。剣技はジラデン仕込みだというから、この足運びも恐らくは師匠譲りなのだろう。
 等間隔に並ぶ部屋と燭台の明かり。その中を歩くほどに、距離の感覚が麻痺していく。
 ジラデンが立ち止まったのは、何部屋目かも分からないほど奥の一部屋の扉の前だった。
 石の扉に石の壁。牢の外との僅かな繋がりは、その壁の高い位置にくり抜かれた窓のみだ。その窓も空気抜き程度の大きさしかなく、ご丁寧なことに太い金属の格子がはめこまれている。
 ルーの背なら中を覗けるが、ラグでは高さが足りなくて中は見えない。ルーの隣で背伸びしていたら、ジラデンがどこかから踏み台を持ってきてくれた。
「お使い下さい」
「ありがとうございます」
「私はいないものとして扱って下され。こちらを見張っておりますので」
 ラグに目配せすると、ジラデンはこちらに背を向けた。仁王立ちでもと来た方を睨んでいる。
 ルーが窓の格子を握って中を覗き込み、壁越しにレンに話しかけた。
「お前、何やってるんだよ。こんなところで」
「あまり触るな。魔法陣が書き込まれている。……魔力があるものが触ると、目が回るぞ」
 レンの声に、格子に取り付いていたルーが渋々といった様子で手を離す。
 踏み台に載り、ラグも格子に触らぬように気をつけながら牢を覗き見る。レンは、薄暗い地下牢の中でも堂々としていた。ろうそく一本の明かりの中で床に座っていても、その王子たる威厳は少しも目減りしない。
「何してんだって訊いてんだ」
「見れば分かるだろう。収監されている」
 鼻息荒いルーとは対照的に、落ち着いた声は至極当然のことのように響き、むしろ疑問を持つ方がおかしいという錯覚すら覚えるかのようだった。
 だからこそ、それはラグの胸を締め付けた。我慢できず、つい口を出してしまう。
「レン様は何もしていないのに、なぜこんな地面の下なんかに」
「ラグは優しいな」
 空気が動いたかと思うと、暗がりの中からレンの姿が現れた。明かりのあるこちら側――牢の外の方へと近づいてきたのだった。
 一歩歩くたびに重いものを引きずるような音がする。よく目をこらして見ると、手枷と足枷にはかなりの大きさの金属球が括り付けられていた。その鎖にもカヤナの背中にあるのと似た文様の魔法陣があった。窓の格子と同様に、魔力を削ぐ力のあるものだ。
 何重にもわたる戒めが、痛々しいほどにレンを押さえつけていた。そんなことをしなくても、彼はきっと逃げないだろうに。
「レン様が厳しすぎるのではないですか? その姿は――それじゃ、まるで」
 ――本当に囚われているみたい。
 ラグは、そう言えずに口を噤んだ。
「『何もしていない』と言ったな。何もできなかったのだ。母の悪行を見抜けず、問い詰めることも止めることもできずに、母はますます病み、ルーは家を去り、メルフィまでもが心を隠すことに慣れてしまった」
 さっきまでよりも近い場所で、自嘲とも取れる笑いを含んだ声がする。レンは、窓のすぐ下まで来ていた。
「それでも俺は、お前のせいじゃねえと思うぜ」
「しかし、いずれは公にせねばならない。母がどんな状態だとしても事実は事実なのだからな。そのときに、母一人よりも私も一緒に『こちら側』にいた方が、お前にはいい環境になるだろう? ……お前が出るなら今だ。母と私を上手く使って、華々しく名を売るがいい」
「使って?」
「自分を狙っていた者を裁く。新しい王の初仕事としてはお誂え向きだ」
「駒じゃねえ。お前は人間だ!」
 ガチャガチャ、という重い金属音が石積みの壁に反響する。ルーが窓の格子を掴み、思い切り揺すっていた。
 ふいにその音が止んだと思うと、ルーは崩れ落ちるように座り込んだ。魔力を吸われ、意識が遠のいたのだろう。
 それでもすぐに立ち上がり窓に向かおうとするルーを、ラグは慌てて支えた。普段ならそんな手助けは断るであろうルーも、今はされるがままに肩を借りる。ずしりと寄り掛かるルーの身体。ラグは石壁に重みを預けるようにして、どうにか耐えた。
「……勝手に駒なんかになってんじゃねぇよ。お前は、俺の弟だろうが」
 ルーが荒い息の合間にそう言って、乱暴に自分の目元を拭う。
 ――聞こえていますか、レン様!
 こんな場所、こんな状況ではあるけれど、ラグは確かに聞いた。ルーの口から、はっきりと『弟』という言葉を。
「義母さんがやってたことは、お前は何も知らなかったんだろう? それなら義母さんだけを裁けばいい。きっちり調べて、罪状に見合った分だけを」
「私が知らなかったこと、それ自体が罪だろう」
「罪なら雪げ、埋め合わせるくらい働けって、お前が自分で言ったろ」
 前触れもなくラグの肩が軽くなった。不思議に思って見回すと、ルーは窓のへりの部分に手を掛けて自力で立っていた。その足元はまだ不安定で、ラグはルーの腹の辺りを抱えるようにして、再び支える。
「俺はこっちの家族を忘れようと思ってもできなくて、ずっと迷ってた。お前に諭されたから、自分が逃げたことを雪ごうと思ったんだ」
「違う。帰ってくると決めたのはお前自身だ。私は何もしていない。何も、できていない」
「ここに戻って失った時間を取り返す勇気をくれたのは、レンなんだよ」
「私にはお前の家族である資格はない」
「家族になるのに、資格なんかいらねえ。……それどころか、血のつながりだっていらねえんだ。それが、俺が街で知ったことなんだよ。思いが繋がれば――それが家族なんだ!」
 ルーは窓の中に訴えるが、レンの言葉はない。
 レンは、自身がルーの障害になると思い込んでいるのかもしれない。それならばと、自分とその母の身を、ルーが王になるための追い風として差し出そうとしているのだろう。
 ラグは驚くと同時にレンを見直してもいた。いつも気ままで型破りだったレンのかたくなな一面は新鮮で、兄であるルーの意固地とよく似ている。自分なりの筋を通そうとするレンは、いじらしくさえ見えたのだ。